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今月のゲストは洋菓子・食卓芸術家の今田美奈子さん
「時代と仲良くし、何事も素直に評価するのが ビジネスセンスを磨くカギ」 こんにちは、蟹瀬令子です。
ヨーロッパ各地の国立の製菓学校、そしてホテル学校で洋菓子作りを学び、ヨーロッパの洋菓子の伝統を日本に紹介してきた今田美奈子さん。 テーブルセッティングを食卓芸術の世界まで昇華させるとともに、お菓子を通じて王妃マリー・アントワネットの人物像を紡ぎ出すなど、食文化研究にも勤しんでいらっしゃいます。来年は喜寿を迎えるのに、なお衰えないビジネス意欲の原動力は何なのか、伺ってまいります。 |
![]() 洋菓子・食卓芸術家
今田 美奈子さん(いまだ みなこ) ヨーロッパ各地の国立の製菓学校やホテル学校で学び、「今田美奈子食卓芸術サロン」(今田美奈子お菓子教室)を主宰。
テーブルアートで世界で初めてフランス政府芸術文化勲章受章。フランス・サン・バキュス美食大使の称号、他多数受賞。 2009年新宿高島屋4階にミュージアムスタイルのティーサロン「サロン・ド・テ・ミュゼ イマダミナコ」をオープン。 |

| 蟹瀬 間もなく喜寿を迎えられるということですが、相変わらずお元気でいらっしゃいますね。今田先生は日本に本格的なヨーロッパのお菓子を紹介された草分けともいうべき方ですが、そもそもヨーロッパのお菓子との出会いというのは、どういう経緯だったのですか? 今田 もうかれこれ40年も前になりますが、1971年にスイスの国立製菓学校に行ったのがきっかけです。スイスのリッチモントという国立の製菓学校がございまして、そこにホテルや洋菓子屋さんのプロが、1カ月ほど視察にいくというツアーがあったのです。よくある業界視察ですね。たまたまジャーマンベーカリーという会社の社長のお嬢様が私の同級生だったものですから、その紹介で同行させてもらいました。 蟹瀬 それは、具体的にはどういうことをなさるのですか? 今田 全員で25名くらいの日本人が一緒になって、リッチモントの洋菓子学校で現地のお菓子作りを見学し、試食を繰り返すというものでした。 当時はまだ日本のお菓子事情といえば、あんころもちと、洋菓子といえばせいぜいイチゴのショートケーキという時代です。ましてやお菓子作りを学ぶための国立の学校があるということ自体が、本当に信じられない思いでした。もう目からウロコでしたね。それを見て、もうその学校に入学したい気持ちでいっぱいになって、質問したら、見ているだけの授業ですよ、ということでした。 ヨーロッパでお菓子作りの職人になるためには、マイスターの資格試験に合格しなければなりません。いうなれば文化遺産なのです。それを正しく後世まで伝えていくためには、やはりマイスターをきちっと養成していく必要がありますから、それを学ぶための学校が必要だということなのです。 蟹瀬 日本の和菓子には、そういう学校はありませんね。 今田 和菓子というのは、専門家の芸術性が求められ、その技術は門外不出という面が非常に強いのです。 これに対して、洋菓子というのは非常にオープンであり、その道を進みたいと思っている人に対しては、こうした職人を養成する学校を通じて、技術を学ぶことができます。同じお菓子作りでも、洋菓子と和菓子の間には、これだけ大きな違いがあったのです。 |
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| 蟹瀬 ヨーロッパに渡った時は、すでにご結婚されていましたよね。 今田 ええ。子供2人がまだ小学生でした。当時はまだ女性は家庭という雰囲気が強かったものですから、主婦が1ヶ月間も海外に行くなどということは、とても珍しいことでした。1ドル=360円の当時ですから、海外の物価はとても高かったことを覚えています。 で、当然、子供の面倒を見てもらう必要がありましたから、それを自分の母親に頼みました。すると、彼女は子供の面倒は見るけれども、夫の面倒は見ないと言うのですよ(笑)。彼女いわく、もし夫が、妻が良いことをしようとしている時に、それに異を唱えるとしたら、それはそういう夫を選んだあなたが悪いのだから、その夫婦の間に一切関与したくない。でも、子供は生まれたくて生まれたわけではないのだから、母が育てた娘が勝手をするというのであれば、その間の子供の面倒は見ますよ、ということでした。 蟹瀬 ご主人は何とおっしゃいました? 今田 主人も反対はしませんでしたね。「どうぞ」とも「止めろ」とも言わずに、黙っていました。後日、ある女性誌の編集長にこの時のエピソードを話したところ、彼女は、女性がこれから何かをしたい、世に出たいと思って行動を起こそうとしている時に、夫が「どうぞ」ということは、もうあり得ない話なのだから、黙っているのは最大の協力であると思うのが良いと、おっしゃっていました(笑)。 蟹瀬 夫が黙っている時は、最大の協力であると思うようにする(笑)。 今田 当時は、外国に行くというのは、本当に選ばれた一握りの人でなければ難しいという時代でしたから、外国に対する興味、想いというものは、どんどん自分の中で膨らんでいったのですね。 蟹瀬 しかも、お菓子の見学ですからね。今思うと、大変でしたでしょ。 今田 そうですね。お菓子業界では初めての海外視察でした。後日、不二家の社長さんに聞いた話ですが、実は戦前からリッチモントに日本のお菓子職人さんたちを派遣したいという話はあったそうです。でも、リッチモントは国立なので、ずっと断られていたのですね。それが戦後、仲良くしましょうということで、お菓子業界同士で話が進められて、私が行った視察ツアーが実現したと聞いています。 蟹瀬 でも、よくお母様が賛成なさいましたね。 今田 ひとつだけ条件をつけられました。戦争中、私たちの家族は湯河原に疎開していたのですが、終戦直後も含めた食糧難の時代に、私の両親の楽しみは、湯河原で自給自足ながらも、おもてなしをすることでした。見よう見まねでクッキーを焼いたり、ケーキを作ったりしたものです。 それを当時の婦人誌の編集者の方が取材に見えられたりしていたのです。飯田深雪先生や江上トミ先生たちが活躍されていた主婦の時代ですね。その端に母も出ていたのですが、私が結婚して東京で生活するようになると、母は取材するなら娘のところに行くといいですよ、などと編集者たちに言っていたようなのです。 そこで東京の自宅に編集者が見えられるようになり、私もお菓子やお料理を作るようになったのですが、当時はまだ母親がやっていたことを、見よう見まねで繰り返しているだけに過ぎませんでした。 そのような時に、スイスへの視察に行くという話になったものですから、母は私に、そこまで本格的に勉強しようというつもりなら、それはとても良いことだし、10年後、20年後にはもっと生活も洋風になってお菓子作りを楽しむ人も増えるだろうから、その時に、本物はこうなのだと言えるように、頑張って勉強して来なさいと言われて、送り出されました。 |
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| 蟹瀬 実際にスイスに行かれて、いかがでしたか? 今田 とにかく外国に行きたかったので、楽しかったですね。スイスのリッチモントというところは素敵な場所で、赤い屋根の寄宿舎があって、そこでチョコレートやいろいろなお菓子がどんどん出てくるのですね。もう、うっとり。だって、先生がアラン・ドロンに似ているのですもの(笑)。 その方がまるで手品師のように、小さなチョコレートを作るのを見て、とても感動しました。その後で焼き菓子などスイスの伝統的なお菓子をどんどん出してくれたのですが、一緒に行った日本人のお菓子職人の方は、「これは日本では商売にならない」という感想を持ったようですね。 当時、日本で洋菓子というと、イチゴのショートケーキやモンブラン、あるいはアメリカから入ってきたパイ菓子などが中心だった時代なので、それから比べると、スイスの伝統的なお菓子というのは、非常に地味に映ったのですね。ですから商売にならないということだったのです。 でも、私はそこで初めて知ったのは、それらスイスのお菓子というのは、何世紀にもわたって、同じ名前で作り続けられている伝承のお菓子だということなのです。それはモーツアルトやベートーヴェンの音楽と同じように、ずっと引き継がれていく。まさに文化遺産を学びに来ていると思いました。 蟹瀬 それを知ったことは、とてもすごいことですね。 今田 その時、初めて母が私に言ったことの意味が、少し分かった気がしました。いずれ日本でも、御膳ではなく、テーブルで食事をする時代が来る。昔の女性は、お花やお茶などを花嫁修業として学びましたが、これからは、洋菓子の名前、作り方を学ぶような時代になるということを、直観したのです。 蟹瀬 その直感は素晴らしいですね。 今田 たまたま母に言われていたからです。 蟹瀬 言葉は大丈夫でしたか? 今田 通訳が付いていましたからね。で、その後、ヨーロッパ各国を回って、お菓子作りを見て回りましたが、まさにそれは伝承の技だということに気づきました。オーストリア、ドイツ、フランスなどですね。その時、フランスに行ったことが、その後の人生を大きく変えるきっかけになりました。 蟹瀬 確か、フランスにお城をお持ちでしたね。 今田 オーストリアやスイス、ドイツというのは、それこそ仕事の一環として行ったようなもので、そこでしっかりお菓子作りのプロの方の技を学んできたのですが、フランスは当時、国立のお菓子学校もなかったので、単なる観光で出かけたのです。そして、街のお菓子屋さん巡りをしたのですが、オプションでベルサイユ宮殿に行ったのです。 観光バスが止まって、好きに観光できるのですが、その華麗さにうっとりして歩いていたら、いつの間にかベルサイユ宮殿にある森の中に入ってしまったのです。 そして、森の中を彷徨っていたら、偶然にも、ベルサイユのバラに出てくるプチトリアノンに出たのです。シュテファン・ツヴァイクが描いたおとぎの国の風景です。それが夕暮れをバックに、本当に綺麗な風景でした。その時、プチトリアノンの主だったマリー ・アントワネットは何て素敵な人だったのだろう、という想いを抱いたのです。 |
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撮影日にいただいたティーセット
『バラと天使のおもてなし』1995円 天使の姿の可愛らしいケーキと、オリジナルローズティーのセット。ケーキは、内側に苺や麻スカルポーネチーズのババロアが秘められている優しい味。天然のバラの花びらの豊かな香りが広がる、こだわりのローズティーとともに、夢のティータイムが楽しめる。
新宿 高島屋 4階「サロン・ド・テ・ミュゼ イマダミナコ」にて
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| 蟹瀬 それがきっかけで、マリー・アントワネットに傾注していったわけですね。 今田 東京に戻ってきて、いろいろなお菓子の研究をしていたある日のことですが、「ラルース」の百科事典を読む機会があったのですね。それを開いたら、そこに「クグロフ」という項目がありました。クグロフというのは、18世紀にマリー・アントワネットが好んだお菓子で、これはドイツやオーストリアなど、いろいろな国の製菓学校で共通して学ぶものなのですね。で、大流行したと書かれていたのですが、その時、私は、マリー・アントワネットという流行の女王が、こんな素朴なお菓子を愛したということに、とても興味を抱いたのです。不釣り合いですよね。流行の女王が、こんな素朴なお菓子を愛したなんて。 その時、再びプチトリアノンの風景が浮かんできたのですが、あそこは華麗なベルサイユ宮殿とは違って、とても素朴な風景が広がっていました。それを思い出した時、マリー・アントワネットという人は、決して派手好きな女王ではなく、本当の姿は、素朴な人だったのではないかという想いに至ったのです。 そこから、マリー・アントワネットのお菓子と王妃の世界に興味を持つようになりました。そこに興味を持っていくと、食器ですとか、テーブルクロスですとか、家具、調度、洋服など、さまざまなものに興味が広がっていったのです。 その研究を進めていくと、とにかくマリー・アントワネットのセンスが尋常ではないほどに洗練されていることに気づきました。 蟹瀬 そこで、マリー・アントワネットと同じ窯で、アンティークではなく、あくまでも今田先生が造った、マリー・アントワネット時代の食器などを使った、テーブルセッティングの教室へとつながっていくのですね。 今田 そうなのです。生活様式というものは、王朝から庶民に移っていきます。だから、西洋文化のルーツというのは、お姫様文化なのですね。なかでもフランスがそのトップにいて、今に至るおもてなし文化を作ったわけです。 蟹瀬 まるで導かれたかのようなお話ですね。 今田 誰でも夢はたくさんあると思います。そして、目の前にはいろいろなチャンスが流れていますから、それを上手にキャッチするためには、何かに興味を持ったら、少し深入りしてみると良いと思います。 |
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| 蟹瀬 それにしても、最初は趣味に近かったお菓子作りが、そこから本を出し、教室を始めるなど、単なる趣味で終わらないというのが、凄いことですね。しかも、74歳の時には、このサロンも始められています。ビジネスはお好きですか? 今田 ビジネスは好きですね。というよりもビジネス感覚がなければ、夢は実現しません。どうやったら人の心を惹きつけられるのか、あるいは現象をいかに上手く掴むか、というのは、やはりビジネスセンスが必要になります。 昔、女性誌の黎明期に、ある雑誌の編集長からの依頼で、外国のお菓子を紹介してもらいたいと言われました。その時、何の変哲もない、四角いお菓子を紹介したことがあります。それが、読者アンケートで、非常に高い人気を集めました。その四角い、飾り気のないお菓子というのは、チーズケーキだったのですが、それ以来、物凄いチーズケーキブームが到来したのです。 その時、私は自分がひょっとしたら、ビジネスに向いているのではないかと思いました。というのも、私が推奨したお菓子が、非常に大勢の方に受け入れられるということが、それから何度もあったのです。 蟹瀬 世の中に受け入れられるものを提示していくセンスというのは、どうやって磨かれたのですか? 今田 時代と仲良くするということを、心がけてきましたね。時代の流れに反抗しないことが大切です。それと、中年以上になると、人間というのは段々と判断、考え方がひねくれてきます。だから、何事も素直に判断することが大切ですね。そうしないと、どんどん我が強くなって、世の中の動きに付いていけなくなります。良いものは前向きにどんどん素直に評価する。そして、世の中の大勢の方が賛美するものは、良いものだと考えるようにしています。 蟹瀬 私はビジネスをやっていても、どこかでアートの世界が好きなのですね。アートは、心のなかで何かほっとするものがあるわけですが、ビジネスにもそれがないと、なかなか前に進めないのではないかと思うのです。松下幸之助にしても、本田総一郎にしても、世の中の人たちに喜んでもらいたいという一念があって、あれだけの商品を出し、世界中に受け入れられ、大きな会社に成長したわけです。それが今は、なかなか見つからないというのが問題ですね。 最後に、いつもとてもお綺麗になさっていますが、それはどこに秘訣があるのでしょうか。 今田 歳を取ると体力などが衰えるものなので、最近はもう何も抵抗しないようにしています。あとはたった一人でも良いので、私の考え方やお話に共鳴してくださる方がいると、非常に良いと思います。絶賛されなくても良いのです。1人でも良いから理解者を持つこと。その方々の反応が、物事の考え方を前向きにしてくれます。 この世界も35年間続けてきたわけですが、今度35周年として、10月7日から17日まで、展覧会を開催します。これまで80回、展覧会を開いてきましたが、今回は私の集大成として、「今田美奈子の華麗なる王妃の食卓芸術展」を開催させていただきます。この展覧会を通じて、ヨーロッパを超えるヨーロッパの食卓文化を日本では出来ますよということを、打ち出していきたいと思います。そして、素晴らしい日本人をこれからも続けていこうではありませんか、ということを、みなさんに伝えていきたいと思います。 蟹瀬 本当に今日は楽しいお話をありがとうございました。 今田 こちらこそ。 |
![]() 食卓芸術やプロトコール、お菓子に関する著書多数
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次回の元気人対談も、どうぞお楽しみに♪
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